東京湾を遡る水路を眺めていると、ふと護岸に染みついた錆の跡に気づく。それは通り抜けてきた時間の重みを静かに物語っているようでした。平成のはじめに生まれた私は、昭和の空気を直接は知りません。それでもどこかで聞いた工場の汽笛の音や、写真の中で淡く光る商店街のネオンの明かりは、水路に沿って漂ってくる潮の匂いのように、なぜか今も心の奥で息づいているのです。
昭和後期、日本の社会は活気に満ちていたと聞きます。令和を生きるいま、私たちは人口減少や世界の不安定さのなかで、どこへ向かうべきかの足場を見失いつつあるようにも思います。民俗学者・宮本常一がかつて「生活の細部を言葉に留めることが、その時代を映す鏡になる」と語り、宮本を支えた渋沢敬三が「見落とされる"傍流"の中にこそ本質がある」と記したように、時代を動かしてきたのは年表に残る大きな出来事ではなく、一人ひとりの暮らしの手触りだったのではないでしょうか。
たとえば、初めて買ったラジオのつまみに触れた感触。夕飯の食卓に立ちのぼった湯気。授業中にメモして交換したノートの端。帰り道に交わした「また明日」のひとこと。そんな断片の積み重ねが、いつしか日本という社会のかたちをつくってきた。そのことを、今もう一度、私たちは信じ直してもいいのではないかと思うのです。
でんでん文庫は、そうしたひとつひとつの記憶を、150ページの文庫本というかたちに束ねていく場所です。雑談のようなインタビューで思い出の糸をゆっくりたどり、文章に整え、装丁まで含めて一冊を仕上げます。それはご本人にとっては歩みを整理する時間になり、ご家族にとっては知らなかった情景に出会うきっかけになります。さらにいえば、社会にとって、その時代の手触りを知ることが、停滞気味な時代に差し込む新しい光のようなものになるかもしれません。
「語るほどのことじゃない」と思われる方こそ、ぜひ一度聞かせていただきたいのです。昭和の熱を肌で感じ、平成を駆け抜け、いま令和の社会を見つめるあなたの歩みは、未来を考えるために欠かせないひとつの地図になると、私たちは信じています。耳を澄ませ、言葉を整え、あなたの物語を紙の上にそっと記していく。そのための準備は、すでにできています。
添野 友洋